子どもの遊びを守りたい

子どもの遊びは、学びであり経験であり、大切な自己啓発・成長の場だと思う。

子どもは遊びの中から、人間関係を学ぶし、自然の不思議さを知るし、身体の使い方を習得する。それ以外にも上げればきりがない。遊びだから前向きだし、積極的だし、肯定的だ。うれしい気持ちも悲しい気持ちも、感動も、友情も、悔しさもとてもダイレクトに入ってくる。裏表もない。それが人間の心の根っこになっていく。

最近、近所に幼児から始められる学習塾や習い事が増えている気がする。いや、確実に増えている。いろいろな教育方針があるし、家庭の事情があるのは理解しているし否定する気はない。ただ、保育の専門家(恐縮だが)からすると複雑な気持ちになる。このモヤモヤに共感する保育関係者や園長先生方は多いはず。児童精神発達の面からみても理にかなってないかな・・・と。

いくら楽しい習い事といえど、そこには大人が子どもを何等かの形で評価することに変わりがない。評価しなかったとしても対価が発生していれば、それに見合った状況なのか?とフィードバックは必ず入ってくる。

その反面、私の中では遊びにはそんな評価は全くない。だからこそ夢中になれるし、フェアなんだと思う。

ただ、早期教育への需要がこの現代に残ってるのか?昭和の受験戦争のようなものがまだあるのか?と考えるとそうでもなさそうだ。

ある知人から聞いたのだが、「今の世の中じゃ子どもだけで遊びに行かせるのは危ないし、結局忙しいし、どうせなら子どもを見てもらえてかつ習い事がついていればいいなっと思って。」らしい。

なるほど、そんな需要もあるのかと思いました。

大人にも余裕がないのか?ほっとする時間がほしい・・・?

ならば、とことん遊びだけを提供する場があればどうなんだろう?1・2時間親元から離れて遊びこめる場があったなら。

いつかそんな場を作ってみたいと、ふと思いました。大好きなコーヒーを飲みながら。やっぱり、いい気づきは遊びやのんびりしてる時によく降ってくる。

なんだかこどもの遊びと似てるな。

 

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